『魏志』東夷伝は、広く知られた倭人の条(いわゆる倭人伝)を含む、3世紀を中心とした東北アジア諸民族の貴重な民族誌で、夫余・高句麗・東沃沮・〓婁・〓・韓・倭人の各条に分かれる。3世紀およびそれに先立大時代の倭人について知るためには、それと深く関わりあったこれら諸民族について知ることが不可欠である。そこで、『魏志』東夷伝の精密な読解を進め、それに関わる調査・研究を集成・総合し、諸民族の実態を総合的に検討していくことが課題である。本年度は、夫余・〓婁・東沃沮について訳註を作成し、また関連遺跡を踏査し、あわせて韓族のなかから成長する百済の前期時代(西暦475年以前)の王都問題および、高句麗の遼東進出と対外防禦をめぐる問題について考察した。夫余伝の訳註は、日本文化班の研究会で報告した際の資料に添付し、考察の一端はニユーズレターにも掲載された。そうした訳註をここで示すスペースはなく、またいまのところ発表の機会を得ていないが、残る諸伝の成稿をまって、公刊したいと考えている。夫余・〓婁・東沃沮は、現在の中国吉林省・黒龍江省からロシア沿海州におよんでおり、現地における調査状況の把握がなお不充分であることも認識している。その情報蒐集につとめ、訳註を補完していきたい。情報蒐集をも目的として、99年10月に中国遼寧省・吉林省を踏査した。夫余祥の地である吉林省吉林市を訪れ、さらにその東の延辺地区も踏査した。延辺地区は琿春が東沃沮の中心地があったと想定され、さらに北には〓婁が展開していたと考えられる。東沃沮か〓婁か所属不明の集落址についても立地を確認したが、情報はなお多くはない。99年4月には、遼寧省桓仁県・吉林省集安市などを踏査した。ともに高句麗発祥の地であり、すでに数回訪れているが、未確認の部分もまだ多く、今後も継続し、現地の研究者と討議したい。
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