昨年度、熊本大学考古学研究室によるナガラバル東貝塚(6〜8世紀)に参加し、主に第III層よりイネを検出した。沖縄諸島・琉球列島最古のイネである。今年度もまた熊本大学によるナガラバル東貝塚発掘調査に参加し、主に第IV層より土壌のサンプリングを実施した。昨年度の約10倍の土壌サンプル(約800リットル)をサンプルした。その結果、イネ、タブノキ、および堅果類の破片を回収・同定した。層位的には、沖縄・琉球列島最古のイネである。しかしながら、昨年度の結論と同様に、今回の分析においてもイネが沖縄諸島で栽培された事を積極的に示すデータを得ることは出来なかった。おそらく、イネは交易によって入手したのであろう。 また、前原遺跡(縄文時代後期相当期)より回収された植物遺体の分析を完了した。この遺跡から得られた植物遺体のサンプリングおよび解釈が正しければ、沖縄諸島においては、縄文後期農耕説も提唱されているが、この時代は狩猟採集の時代であったことになる。また弥生時代相当期には「貝の道」を通して、本土と交易を行ったことが知られているが、沖縄弥生時代人は水田稲作を受け入れなかったようである。さらに、6〜8世紀にはイネを知っていた集団も存在したが、彼らも積極的にイネ(水田稲作)を受け入れなかった。考古植物学的資料および考古学的資料によると、沖縄諸島においては農耕は8〜10世紀に開始されたようである。また、グスク時代の植物遺体を検討すると、この時代の農耕はイネを中心とした水田稲作ではなくアワやコムギ等の雑穀を中心とした畑作農耕であったようである。
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