研究分担者 |
重藤 実 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助教授 (80126078)
松浦 純 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (70107522)
浅井 健二郎 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (30092117)
富重 純子 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助手 (40313184)
藤井 啓司 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助教授 (60173382)
HALLENSLEBEN Markus 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 外国人教師(研究職) (70313187)
|
配分額 *注記 |
21,450千円 (直接経費: 18,900千円、間接経費: 2,550千円)
2002年度: 5,720千円 (直接経費: 4,400千円、間接経費: 1,320千円)
2001年度: 5,330千円 (直接経費: 4,100千円、間接経費: 1,230千円)
2000年度: 4,100千円 (直接経費: 4,100千円)
1999年度: 6,300千円 (直接経費: 6,300千円)
|
研究概要 |
本研究は,科研費による研究「文学表現と<メディア>-ドイツ文学の場合」(平成7-9年度)の成果を踏まえ,メディア論との密接な関連において新たな身体概念を提示することを目的として遂行された。その成果は以下の3点に要約される。 1.技術メディアの発達段階が身体の編成を深く規定していること。たとえば,ロマン主義期の文学に頻出する眼鏡や望遠鏡のモチーフは,これらが目と対象の間に介在することによって知覚のあり方を根本から変化させたことを物語っている。また活版印刷は,身振りを交えた朗読を孤独な書斎での黙読に代えることによって,読書をもっぱら精神的な営みとし,他方,写真においては機械の「目」が人間的認識パターンの外にあるものを捉え,提示した。この二つのメディアの作用を,ロゴス中心主義とその相対化の兆候として解釈することができる。 2.身体は従って歴史的に可変であり,それゆえに権力的操作の対象でもあった。たとえば啓蒙主義期の文学においては,理性の名による性欲のコントロールが繰り返し主題化され,かつそれが男性的徳として称揚される。またロマン主義期には文学と精神医学の相互接近が認められるが,それは一方では身体と宇宙との感応を志向しつつ,他方では対象=患者を意のままに支配しようとする欲望を宿してもいた。 3.身体は,それが無垢な自然として表象されうる限りにおいては,解放運動のフォーカスとしても機能した(たとえばモダンダンス)。そうした素朴な信頼が失われたとき,文学と芸術が関心を向けるのはむしろ,一個の人格の下に統合される以前の身体であり,いわば「人間における物質的なもの」であるように思われる。(たとえばパウル・ツェランの詩に頻出する身体断片。) なお平成15年度からは,本研究の成果を引き継いで,「記憶」を主題とする新たな研究が行われる(「文学表現と<記憶>-ドイツ文学の場合」平成15-18年度)。
|