研究課題
基盤研究(B)
我々は平成11年度から14年度の科学研究費補助金を得て、北海道枝幸町ウアバトマナイチャシ、岩手県岩手郡西根町暮坪遺跡、暮坪II遺跡、子飼沢山遺跡、スバット遺跡の発掘謂査と、多くの北海道のチャシと東北北部・北海道南部の平安時代防御性集落の踏査を行ない、また関係文献を収集した。暮坪遺跡などは北日本平安時代高地性集落の代表的なものである。その結果、北日本の防御性集落出現の時代的背景やチャシとの関係についてほぼ次のような結論に達した。高地性集落を含めて北日本の防御性の高い集落はほぼ一〇世紀後半を中心とした年代に集中するらしい。そしてこの時期には低地に立地する集落は、皆無ではないにせよきわめて少なくなるようである。この時期に東北北部から道南地方にかけての広範な地域に時を同じくして防御性の高い集落が出現したのである。この時期は、前九年・後三年の合戦の前夜にあたっており、蝦夷の世界にも経済的な面を含めて政府側の影響が強く及び、蝦夷社会の分裂・抗争が激しくなっている。防御性の高い集落の出現は、このような状況をふまえたものなのであろう。しかし平泉藤原氏の時代から鎌倉時代になると、東北地方の北部までは朝廷や幕府の支配が及ぶようになり、対立・抗争は上からおさえつけられることになったため、防御性集落は姿を消すことになる。しかし北海道には朝廷や幕府の直接の支配は及ばず、そのために北海道では対立・抗争のエネルギーがそがれることはなかったのである。このような状況の中で北海道ではアイヌ民族成立にむけての歴史が進行し、アイヌの砦といわれるチャシが盛んに作られるようになると考えている。
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