本研究においては、19世紀後半から20世紀初頭(1914年)までのドイツにおける「知」(=諸科学)の変容を、とくにシュタムラーからランゲを経てコーエン、ナトルプ、さらにフォルレンダーに至る新カント派社会理想主義の展開過程に焦点を当てながら分析した。一方で制度化されたアカデミズムの中で自然科学および実証主義的な科学が台頭し、他方でマルクス主義が広まる中にあって、新カント派社会理想主義は、カントの認識哲学に基づき、認識の自由に基づく人格の自由を主張し、社会改良主義的な「社会主義」を主張した。たしかに、新カント派は実存主義、現象学、社会科学の中に痕跡を残すものの、1914年を境にして、一つの学派としての運動は霧散する。その理由は、(1)科学が非人格化、合理化される中で、人格の自由を追求する新カント派の議論が、時代の流れにそぐわなくなってしまったこと、(2)急進化するマルクス主義と比較すると、新カント派社会理想主義は現実の社会を認識する構造的な視座を持ち得なかったこと、(3)大衆社会に開かれた民主的な政治綱領を掲げながらも、1914年の第一世界大戦勃発時には国家主義に絡め取られてしまったことが挙げられる。これ以降、ドイツのアカデミズムにおいては、人間の内的生と社会とをトータルに捉えようとする知的営みは弱まり、内的世界に沈潜する非政治的・非社会的科学と、所与の現実を肯定する国家主義的科学とに分裂することになる。この人格と社会との分裂を来した「知」の営みの中に、1930年代の国家社会主義に対する道が備えられたことを明らかにした。
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