研究概要 |
(1)革命直後から30年代初期までの「生徒の主体性を重んじる教育」から「共産主義イデオロギー注入教育」へと到る過程とその後の展開を、歴史教育の変遷を通して明らかにした。-ソ連崩壊後、ロシア教育界では、それまでの「共産主義社会の建設者」という人間像から、「市場経済の競争社会の中で自己実現できる個人」へと教育の目指す人間像が大きく転換された。それに対して、この人間像には「協力、チームワーク、相互支援」といった市民社会の価値観が希薄であるとの指摘がなされた(OECD,1998)。しかし、このような問題指摘は、それが市民社会的なものであったかどうかは別にして、ロシア教育界にとって、その歴史上、全く新しいものではなかった。ソ連邦国家体制が確立される以前の30年代初頭までは、「社会的に積極的な個人」が教育の目指す人間像として掲げられ、教室教育、教科教育、教師の教え込みが否定され、活動によって学ぶことを中心とした生徒の主体性を重視する教育実践が行われていた。 (2)共通の歴史観の形成が困難となっている。-ソビエト政府と各民族との歴史教育をめぐる「ひび割れ」がソ連邦体制そのものに亀裂を生じさせた。現在、民族の他、市民社会、連邦構成主体(共和国、州など)、社会組織、ロシア正教会が新しい教育主体として登場し、連邦全体を通して共通の歴史観を形成することが困難になっている。しかし、ロシア全土の生徒を対象とする歴史教科書と自民族史教科書に、ソビエト政権の民族政策は、民族自決を無視した強圧的なものであったとの評価では一致が見られる。歴史的事件を1つひとつ共に確認する中で、将来、共通の歴史観も徐々に形成されるであろう。
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