古代マヤ文明のこれまでの研究動向は、都市国家の中心部にあたる大遺跡(1次センター)の調査・研究に著しく偏っており、その文明史観も中心部の1次センターからのものであった。その一方で、都市国家を形成していた周縁部の2次センターにおける調査研究は、大幅な遅れを取っているのが実情である。本研究は、このような研究動向の中で、古典期マヤ文明の代表的な1次センターである南東部のコパンの周縁に位置する2次センターの調査によって得られた1次資料を分析・比較検究することを通して、コパン地方国家の盛衰やこの地域における古典期マヤ文明崩壊の問題にこれら2次センターが果たした役割を解明しようとするものである。 本年度の調査研究は、主に周縁の地方国家形成時の資料に焦点をあて、コパン地方国家の代表的な周縁2次センターの一つであるエル・プエンテ遺跡の建造物10番、11番出土の土器資料を中心に分析・検討を行なった。その結果、従来の放射性炭素年代測定値と建造物1番出土土器による地方国家形成年代が裏づけられるとともに、その時期の中心である王都と周縁である2次センターの間の相互関係に関する重要な示唆が土器の上から得られている。このような示唆をより確たるものとするために、土器胎土の理化学分析を行なう必要性があることも確認されており、来年度以降の重要な課題となっている。
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