長崎唐人屋敷は唐人居留地である屋敷地(唐館)と、倉庫地(新地蔵)からなる。唐館の都市的構成とその変遷については、文献および絵画史料により明らかにした。しかし、新地蔵には及んでいなかったので、今回の研究課題としたものである。 新地蔵の形成時期およびその背景についてはすでに明らかにされているので、研究対象としたのは、(1)新地蔵の建築がいつまで存続したか、(2)新地蔵を利用した中国人の本国の類似施設との比較、(3)新地蔵内部の倉庫その他の建築物の研究、(4)新地蔵と唐館との相互の関係、(5)新地蔵と近代中華街との関係、などである。 (1)については明治初期の風景写真を解析して、近世の倉庫が一部存続していたことや、その形状を明らかにすることができた。(2)に関しては、中国江南の沿岸都市について調査した。しかし、近世の施設は残存せず、絵画や写真によってわずかに窺える程度で、その実態を明らかにできなかった。かえって新地蔵の絵画史料のもつ重要性が浮き出たかたちとなった。(3)は石崎融思の「唐館図絵巻」など近世の絵画や地図をもとに、新地蔵の倉庫その他の建造物の図面上の復原を行なった。(4)については「唐館図絵巻」に描かれた様々な営為を分析し、新地蔵の内外人交流の場所としての重要性を指摘した。(5)は新地蔵の地割がのちの中華街の骨格となっていることを指摘した。 なお新出史料である「唐館図絵巻」によって、唐館内部の構成や生活実態についても、あらたな知見が得られたので、以前の唐館研究を補足する研究を付加した。
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