研究概要 |
大正期から昭和期にかけて,我国の算術教育界では生活算術が精力的に実践され,その成果は緑表紙教科書の成立に大きな影響を与えた.作問主義算術教育は多様な様相を持つ生活算術の一主張,実践と捉えられている.作問主義算術教育の実践において中心的な役割を果した奈良女子高等師範学校附属小学校の算術科の取り組みが持つ現代性は大いに評価されているところである.しかし,同校算術科のカリキュラムの具体的な姿は未だ明らかにされていない. 本研究は,昭和初期の奈良女子高等師範学校附属小学校における算術科のカリキュラムを当時の同校訓導であった清水甚吾が残した資料をもとにして再構成し,その教育理念,方法,構造等を明らかにすることを目的としたものである. 作成された報告書は,3章からなっている.第1章では清水が同校主事木下竹次のもとで作問中心の算術教育の実践に取り組む以前の彼の算術教育観,とりわけ作問観が分析されている.第2章では,清水自身の作問観の変容を分析するとともに,彼が大正9年〜大正14年に学級を持ち上がりながら実践した算術科の実際を明らかにした.第3章では,作問算術が全国的に流行していく中で,解決しなければならない課題であった作問算術の系統化,教科書との関係に関して取り組み方を模索するために実施された「児童作問の調査研究」の意味について考察している.
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