研究概要 |
新潟水俣病が起こった阿賀野川中流地域の地域社会がいかに変容してきたか、中流の安田町を中心に調査研究を行った。そこから、以下の点が明らかになった。 (1)集落ごとに特徴的な水環境と生活文化が存在していた時期から、水道や道路の普及などによる基層文化の標準化・均質化が進む過渡期に、新潟水俣病を位置づけることができる。(2)河川交通・物流の衰退によって流域集落が川にむけていたまなざしが減少しはじめる時期に、新潟水俣病が集落において問題になった。(3)集落ごとの生活文化が標準化されるなかで、新潟水俣病患者発生地域では、被害を主張するため、川への依存度について語るのだが,そのなかで流域集落への偏見が醸成されることにもなった。 このような点をふまえて、水俣病問題の地域での問題化のプロセスを、問題の地域化からプライベート化として位置づけた。また、この点を明確にするために、公害問題を地域問題として経験した北海道常呂町で調査研究を行った。常呂町での公害問題は漁業という組織において経験され、共有されている。すなわち、集落に経験の共有がある。だが、安田町においては、集落の問題が裁判を契機に個人の問題として捉えられるようになった。そこに経験の共有の困難があり、、公害問題を含めた地域づくりに際しては、経験の共有が必要であることを指摘しうる。この点から、安田町での被害者運動が、被害者運動の枠を越えていることについて分析しているところである。
|