近代社会の黎明期に生きたモンテスキューは、当時の思想潮流であった啓蒙思想家たちとはある面では一線を画す。特に注目するべきは、モンテスキューの思想が、20世紀の国家において露わになった地域主義や民族文化の共存というテーマに通じる、いわば文化的多元主義を先取りする社会構想の起源をなすことである。社会とは、理論と合理性のみによって構築されるのではなく、また、感情のみによって構築されるものでもない。社会とは合理性と感情の、きわめて個別的な融合体として構築されるのであり、それは国家に先立つとともに、決して普遍化されえないものでありつづける。このような認識のもとに、彼はいわゆる啓蒙後の近代国家、すなわち多少なりとも広義の普遍性への統合を強いる国家の、存立の困難を既に見抜いていた。彼は個別的に生きられる社会あるいは生活への配慮を政治の原点におく。この「配慮」こそ、モンテスキューがエスプリの活動する領域だと考えたものであり、根源的に異質で決して既知にはならないものとの共存を可能にする哲学であった。人間は、国家の統治という課題は暴力なくしては決して完全には成功しないことを了解しつつ、社会のなかにかろうじて達成されうる制度的合理性と感情的受容との均衡を、よりよく保とうと努力することしかできない。その困難な均衡点をさぐる知こそがエスプリという感性、あるいは「品格」であり、これはまた誰もが獲得できる類のものでもない。しかしそれこそ、自由に開かれた近代人が共存するために、誰に対しても求められる市民の資質なのだという、いわばパラドキシカルな状況を示唆していたのだ。
|