「セクト・カルト現象」は、「セクト・カルト」を呼ばれる集団、反「セクト・カルト」集団、政府機関、メディア、市民、元メンバーなどの批判者、そして研究者といった諸アフターの諸活動によって構築される。前年度の本研究で明らかにしたように、日・英・仏・伯では、自由性や平等性など社会的価値の優越性や法的規定、社会や当局の対応等は異なってはいるものの、「セクト・カルト」に対する/という、社会的批判の核心には、個人の自律性の阻害という共通点がある.この社会・文化的背景には、グローバル化にする価値の均質化と個人的価値の優越化による、自己決定の絶対化がある。 「宗教性」をここでは、「霊性(この世界の外部とのつながり絆の感覚、観念)に対する態度、接近方法、個人社会との関係性、目的性を規定する具体的なオリエンテーションの総体」と定義する。「セクト・カルト現象」に観察される宗教性の変容の最も顕著な点は、宗教的文化資源の接続可能性、選択可能性の不可逆的な増大である。「宗教」/「信仰」は自分で選べる、あるいはキリスト教という支配的宗教とは別の「宗教」/「信仰」がある、という「宗教」観念の拡大をそれは伴う。第二に、日常生活では感得できなかった霊性を特に身体技法を使用して身近に感得(個人の内面で)できるという感覚の獲得がある。第三に、「セクト・カルト」は通常、次世代の再生産を行っているという意味で、血と出自によって規定される「民族」のメタファーで語れるが、多くの場合、現行の社会通念、常識から逸脱した、ある独特な生き方を分有することによって、その価値的基礎を形成している。
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