中世末期の低地地方におけるブルゴーニュ家君主権力の集権化と自立的な地域権力との関係を、地域権力の担い手である都市・農村支配層の動向からさぐる本研究で、今年度は、低地地方の代表的な領邦フランドルの農村支配層をめぐる諸問題に着手した。先行研究の状況を確認したところ、まずもって問題の所在を明確にし、今後の研究の展望を示すことが必要であった。 低地地方、中でもフランドルは都市化が著しいことで知られ、地域権力といえば専ら都市のみが考えられてきたが、低地の全国議会、領邦・地区規模の諸集会においては、農村地区(シャテルニー)の存在が見逃せない。とりわけブリュッへの周辺地区ブルフセ・フレイエ(フラン)は、多くの都市に優越して三大都市と並ぶ地位を享受していたのである。そこで着目すべきは、そうしたシャテルニーの行政機関の活動、その人的構成、そして都市との関係(主として代表制においての)であろう。このブルフセ・フレイエを中心にみてみると、シャテルニー・エシュヴァン団が、裁判機能を軸に、都市と同様の特権により領域内の統治を担っていったこと、その筆頭には都市と同様複数の「市長」が置かれていたことがわかる。その人的構成は、貴族称号の保持者の割合は都市と比べて多いとはいえず、非貴族の富裕層の存在が大きい。よって、フランドルの地域的支配層においては農村と都市は総合的に考察される必要があるだろう。そこで、従来、対立が強調されてきた都市と農村、具体的には都市ブリュッへと農村フレイエの関係も、そのような観点から、また、代表制における日常的な協力の面からも、再検討されねばならないと思われる。
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