研究概要 |
1,八田家文書は、現在諸機関に分散所蔵されているが、書誌調査によって、その分散経路が判明した。その詳細については、『岡山大学文学部紀要』35において報告する予定であるが、概略のみをここに記せば、今日大阪商業大学商業史博物館・神戸市立博物館に分かれて所蔵されている八田家文書は、その蔵書印によると、双方共に佐古慶三氏の旧蔵資料である。その佐古氏が八田家文書を入手したのは、慶應義塾大学所蔵の幸田成友転写文書識語によれば、古く明治末年まで遡る。八田家文書の分散は、明治末年には始まっているわけである。一方、九州大学法学部・東京大学法学部・香川大学附属図書館神原文庫に所蔵されている八田家文書は、東京神田の巌松堂書店古書部が扱ったものである。いずれも昭和前期、第二次世界大戦前の事である。昭和期には一古書店を介して、分散している事は明らかであるから、もはやどれほどの数の文書が、図書館・個人に分散したかは計り知れない。また、仄聞するところによれば、大阪の八田家にはいまだ文書が残っている由である。今後は、大阪八田家の記録等によって、八田家文書の全体像が明らかになる事を期待するより他ないであろう。 2,「唐人殺し」の書留資料の性格に関しては、池内敏『「唐人殺し」の世界』においても充分に検討されていない事柄である。江戸時代当時の「伝聞」の書留が、いかに不充分な「事実」の伝達行為によって成り立っているかについて、「事実と巷談書留」(『説話論集』10)において報告する。当時の意識において、書留は「事実」の一斑を示すものにすぎなかったものと推測される。当時の民衆レベルにおいて、事件に対する「認識」などと呼べるほどのものは持ち得なかった、と把えるのが正しいであろう。
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