研究課題/領域番号 |
11710295
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
文学一般(含文学論・比較文学)・西洋古典
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
澤入 要仁 東北大学, 言語文化部, 助教授 (20261539)
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研究期間 (年度) |
1999 – 2000
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研究課題ステータス |
完了 (2000年度)
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配分額 *注記 |
2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
2000年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1999年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 読書 / 音読 / 朗読 / 黙読 / 書物 / アメリカ文化 |
研究概要 |
本年度は、20世紀初頭に音読・黙読が衰退したことを明らかにし、その事情を探ることを目的にして研究が続けられた。 その結果、初等教育では、ちょうど世紀転換期頃が読書方法の転換点があったことが判明した。すなわち、19世紀末頃までは、音読教育、朗読教育が主流で、上手な音読・朗読が内容の正しい理解に通じると考えられていたが、20世紀初頭頃から黙読教育が主流になり、音読や朗読は正しい理解や深い考察を妨げる悪い習慣とみられるようになった。たとえば、1901年のThe School Review誌第9号には、音読を勧める新刊と黙読を勧める新刊とがそれぞれ別の書評者によって肯定的に書評されていて興味深い。 高等教育では、その分水嶺はもう少し早かったようだ。かつては、文学とelocution、recitationとは、かたく結びついていた。しかし、19世紀末から高等教育機関で行われるようになった文学教育では、elocutionやrecitationは排され、精緻で透徹した研究が求められるようになった。その結果、音読や朗読は時代遅れの非学問的な読書方法だと考えられるようになったようだ。たとえば、シカゴ大学のハイラム・カーソンは、19世紀末、大学の文学研究が、文学の音声的側面を無視し、技術的側面ばかりに注目するようになったことを嘆いていて注目に値する。 あるいは生活環境では、明かりの普及が関係していると思われる。19世紀後半まで、家庭の中の明かりは乏しく、もっとも読書にふさわしい明るさが得られた場所は、家族の集まる暖炉の前だった。家族はそこに集まって、音読や朗読を通していわば共同的読書を行っていた。しかし、20世紀に入って電灯が家庭の各部分に普及するようになって、読書がもっぱら個人単位で行われるようになった。 以上のように、初等教育、高等教育、家庭生活環境、これらの変化が読書の形態に変化を与えたと考えられる。
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