一口に少子化の内実は、何を基準に「少子化」と見なすかによって、その問題の意味するものが異なる。一夫婦当たりの子ども数の減少という意味での急激な少子化という点で、日本の近・現代の歴史上、1975年〜82年の第III期は特徴的である。第I期(大正9〜昭和14年)にも既に普通出生率、合計特殊出生率共に低下傾向にあった。この頃既に都市新中間層というあり限られた階層においては「近代家族」が誕生し、子どもの衛生・心理/健康・教育に大きな関心をも専業母が生成しつつあったが、総体的に出生率に影響を与えていたのは、婚烟や生命の再生産へのアクセス権の不平等さから生じる婚姻率であった。 第III期は、ちょうど日本における近代家族の大衆化期と符号する点で興味深い。人口の大部分が結婚して平均して約2人の子どもを産み育てることになった。避妊率が上昇し、人工妊娠中絶(多くはストッピング)は低下傾向を維持した。人々は、計画的に約2人の子どもを産み育てるようになった。また、1970年代は、科学的育児法と母親のスキンシップの重要性が強調され、情緒的なケア役割と教育役割を果たす[専業母]の価値が歴史上もっとも強化された時期でもあった。 しかしわが国においては、1990年代にはまた大きく母親イメージ・父親イメージが変容した。発達心理学における「父親の再発見」と女性学、およびジェンダー研究が親イメージの変容に与えた重要性は言うまでもない。90年代における、ケア役割を果たす父親の登場は、女性領域に特化されてきた家族の情緒化にジェンダーの流動性を持たせた点において、家族の脱近代化を誘導する注目すべきメルクマールになると考えられる。
|