研究概要 |
周知のように日本の科学研究の最大の問題点として指摘されるのが、独創性の不足である。その原因は何処にあるのか。これについてはいろいろな観点から述べられているが、明治期の科学教育の導入という観点からはほとんど論じられていない。特に、明治10年代からは、独創性で群を抜くドイツ科学を生み出したドイツの科学教育を我が国は導入したのである。それにもかかわらず、なぜ我が国の科学研究がドイツ科学のように独創性を発揮することができなかったのか。この原因を明治期のドイツ科学教育の導入の様態を分析することによって解明するのが、本研究の目的である。昨年は、我が国の理科教育における近代科学の基本的自然観の再生産の問題を研究し、明治期に導入された欧米の理科教育論書・理科教科書と明治日本の理科教育論書及び教科書との関係を探る必要性が明らかになった。このため、今年度は、明治期に導入された欧米の理科教育論書・理科教科書と明治日本の理科教育論書及び教科書との関係を探るのに必要な資料の探索と、整理を行い、若干の展望を得た。 明治24年の「理科の要旨」にある,「通常の天然物・及び現象の相互・及び人生に対する関係」の重視は,ドイツのユンゲの著書『生活共同体としての村の池』(Dorfteich als Lebensgemeinschaft)に表れた「生活共同体説」の影響である、というのが通説である。しかし、その辺の事情については、日本科学史学会の機関紙『科学史研究』誌上にこれまでいくつか研究が発表されてはいるものの、必ずしも共通理解が得られているとはいえない。そこで、本著書以外のユンゲの理科教育書を検討し、さらに、日本側におけるその影響・移入過程を詳細に探る視点の必要性が判明した。
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