研究課題/領域番号 |
11J00117
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
芸術学・芸術史・芸術一般
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
FEDOROVA ANASTASIA (2013) 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員DC1
フィオードロワ アナスタシア (2011-2012) 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員DC1
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研究期間 (年度) |
2011 – 2013
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研究課題ステータス |
完了 (2013年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
2013年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2012年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2011年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | 亀井文夫 / リアリズム / ドキュメンタリー / 日露映画交流史 / 紀行映画 / 日露文化交流史 |
研究概要 |
本年度、申請者はこれまでのリーサーチを通して収集された一次資料の整理作業を行い、その分析をもとに"Japan's Quest for Cinematic Realism frorm the Perspective of Cultural Dialogue between Japan and Soviet Russia, 1925-1955"(和訳 : 「ソビエト・ロシアとの文化対話から見た日本映画史におけるリアリズムの追求、1925-19551」)というタイトルの博士論文を執筆した。本博士論文において、申請者は当初計画されていた研究課題を大幅に拡充した。即ち、本論文は、ソビエト・ロシアに留学し、そこで育んできたリアリズム観やモンタージュに対する知識を自らの作品のなかで応用してみせた日本を代表するドキュメンタリー映画監督である亀井文夫の作風ばかりでなく、1925年から1955年までの日本映画における、より広い意味での「リアリズム追求の歴史」を、日本とソビエト・ロシアとの映画交流を軸に論じているのである。申請者の博士論文は、1925年から1955年までの間におこった日ソ間の映画交流(相互間における映画作品や映画理論の受容、留学体験を通しての映画知識の共有、合作映画の製作など)を詳細に分析することで、これらの交流を促進させていたのが、日本とソビエト・ロシア両者におけるリアリズムに対する強い感心であったことを明らかにしている。結論部分では、日ソ両映画界に共通していたこの強い感心が、ハリウッド映画の世界的影響力への対抗心から来るものであったと主張され、日ソの映画人が目指していたリアリズムという芸術潮流は、メインストリーム(ハリウッド映画)に対するイデオロギー的及び美学的アルターナティヴの追求として定義付けられている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本年度、申請者はこれまでの研究成果を博士論文にまとめる作業を行い、"Japan's Quest for Cinemtic Realism from the Perspective of Cultural Dialogue betweem Japan and Soviet Russia, 1925-1955"(和訳 : 「ソビエト・ロシアとの文化対話から見た日本映画史におけるリアリズムの追求、1925-1955」)というタイトルの論文を書き上げたうえで、京都大学大学院の博士課程を終了するとともに、博士(人間・環境学)の学位を授与された。現在は博士論文に基づく単行本の編集・発行に向けて作業中である。
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今後の研究の推進方策 |
亀井文夫の作家研究を進めるにあたって、申請者は、亀井にとって最大の目標であった「リアリズムの追求」を軸として、同じようにリアリズムを目指していた作家との比較考察を行ってきた。ソビエト・ロシアで生まれ、亀井文夫にも多大な影響を及ぼした仕会主義リアリズムは、戦前から存在する芸術潮流であったが、それが東アジアに普及し、現地の映画芸術に本格的な影響を及ぼすようになったのは、冷戦による世界の二極化が深まっていった1940年代後半から1960年代前半においてである。これからの研究において、申請者は、終戦後(1945~1965)の世界で隆盛を極めたリアリズム映画が、日本やソビエト・ロシア、中国や朝鮮といった東アジア諸国において、いかに台頭し、成熟を遂げ、やがて衰退していったかを検討していく。
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