研究概要 |
東北アジア諸民族の考古学的研究の一貫として、中国東北地方の遼寧・吉林・黒龍江省各地の現地調査を実施した。 夫餘は、『三国志』魏書東夷伝にみえ、8万戸(40〜50万人)の国として記載されているが、その実態については把握されていなかった。本研究では、夫餘国の領域をとらえるために、夫餘だけでなく、隣接する漢魏の遼東郡・玄菟郡、高句麗、東沃沮、〓婁の地域の調査をおこなった。 中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江上流の延辺朝鮮族自治州の長白鎮付近で、3〜4世紀の高句麗積石塚の存在を確認した。高句麗領域の北東界で、その北方の松花江上流域で夫餘と接することをあきらかにしえた。その成果は「高句麗初期の領域と積石塚」(『日本人と日本文化』ニュースレター15,2001,1.31)として報告した。 いっぽう夫餘の墓制である木棺墓・木槨墓や銅〓・鉄〓・帯鉤・鉄製武器(刀剣矛)などの遺物の研究をすすめた。 銅〓・鉄〓は、夫餘の老河深遺跡など吉林省から遼寧省、平壌、慶州、金海、対馬、和歌山などの東北アジアに分布する。漢・三国に並行する時期である。韓国の金海良洞里や大成洞遺跡のものは、夫餘ではなく、楽浪郡から流入したものである。また馬形帯鉤は、紀元1世紀ごろに出現し、4世紀前半ごろまで存続する。遼寧省西豊西岔溝や吉林省老河深などの夫餘地域で発達する獣形帯鉤、戦国から漢代にかけての曲棒形帯鉤の影響のもと、朝鮮半島南部地域で生まれたものである。馬形帯鉤は、馬韓・弁韓・辰韓の三韓の地域に分布するが、伝岡山県榊山古墳の馬形帯鉤は3世紀前半ごろ、馬韓や弁韓地域から倭国に流入したものであることを明らかにした。 日本文化、日本人の起源をさぐるうえで、東北アジア諸民族の歴史と文化の研究は不可欠であることをあらためて認識した。
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