第1章日本の「人口転換」と家族計画では、世界で稀なほど急激な日本の人口転換(少産少死化)が生じた期間、1948年〜1969年に特に注目し、それをさらに3段階に分けて政府その他の少子化に向けての様々な動きを政府予算や種々の厚生省人口問題研究所調査その他によって概観した。また一例として大阪市を挙げ、地方公共団体の家族計画普及が、大阪市においては実は生活保護世帯対策だったことを指摘した。 さて日本のような急激な人口転換が生じるには、人々の少子化志向とともに、政策を末端部分で実現する民間のエイジェントが不可欠である。日本の特徴の一つは多数のエイジェントの存在だと考えられたので、第2章〜第5章では、第1章のテーマをさらに具体的な場面で展開したケースを紹介した。第2章民間の運動団体:日本家族計画協会では、具体的に受胎調節実地指導を中心的に行った民間団体日本家族計画協会(当初、普及会)の『家族計画』から、その民間主導の全国的なありようを概観した。第3章では企業による「新生活運動」としての家族計画の展開を扱った。ここでは、特に企業戦士の妻たち意識・行動の変容と「家族計画」として受胎調節が貯蓄などの経済的合理行動とが車の両輪として展開されることに注目した。 第4章と第5章は、当時最大の公共企業体国鉄での家族計画を扱った。ただ問い合わせの結果、解体によってその資料がほとんど全く失われたことと回答され研究は難航した。しかし受胎調節実地指導員の方々幾名かにインタビューできたので、その成果を調査報告書にまとめた。実際に指導にあたった方々の体験を聞くことにより、劇的な人口転換と言われるものが、実はどのような苦労をともなって実現されたものであるかを少しでも明らかにできたと考える。 研究対象が、資料が散逸しているうえにかなり日本社会広範にわたるため、本研究はまだ継続して多くを調査する必要があると考える。ただ、現時点で「家族計画」や人口転換について、一定の知見を得られた。なお、上記の調査を行いつつ、実際に女性たちがどのような変化を体験したのかを詳しく知りたいと考え、14人の戦前に思春期を迎えていた女性たちにインタビュー調査を行った。そして、婚姻や性知識などについて、その方々の人生全般における出来事とともに聞き取りした。戦前の産児制限に関する人々の態度と戦後のそれとの相違を、かなり具体的に把握できたと考える。
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