本研究は、沖縄の門中研究の中で、従来あまり多く研究されてこなかった士族系門中を主な対象として調査研究を行なった。士族系門中は、家譜としてその系譜が記録されていることが、一般の百姓系門中と異なる。ただし、廃藩置県前後に地方に移って帰農した支流の系譜は、記録されない場合が多く、系譜のあいまい性が残る。 沖縄本島北部の名護市屋我地における士族系門中と百姓系門中を対象として比較してみた。士族系門中の来歴は、近世末から明治にかけて、首里あるいは那覇の士族身分の人たちが、職禄を得ることができずに農村部に移住してきた。農地を持たなかった士族系の人々は、屋我地では塩の生産で生活の基盤を築いて、定着した。士族系門中は、家譜という記録された系譜をもち、その繋がりは、全島にまたがる。士族門中の内部構造は、宗家を中心とする門中全体の中に、中宗家、あるいは地域の本家を中心とする分節が入れ子状に幾重にも重なっている。それぞれの分節では、その祖先祭祀の活動などを通して、中宗家や地域の本家が中心となる。士族系門中でも、すべてが家譜を持ち、明確な系譜を持っているとは限らない。伝承では、士族出身の祖先をもつとされているが、系譜にあいまい性があり、その門中における上位の系譜との関係が不明確で、祖先祭祀などのつきあいも密接には行われていない。それでも、当事者は士族系門中であると認識し、周囲もそれを認めている。士族系門中は、家譜による明確な系譜を持ち、祖先祭祀がきちんと分節に対応するという特色を指摘することができるが、その点であいまいな性格を持つタイプもあることがわかった。 また、首里士族系門中及び中国人始祖をもつ久米村士族系門中を調査とした。門中組織の内部は必ず分節化し、宗家を中心にいくつかの中宗家に分かれている。具体的な祖先祭祀の活動は、宗家・中宗家・本家とそれぞれの範囲で行われる。活動の範囲を規定するのは、どのような理由によるのかをそれぞれの祖先祭祀活動を調査することによって、門中内部の組織とそれに対応する祖先祭祀儀礼の対応関係の分析を試みた。
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