本研究では、江戸時代の後期に国学思想の中心的な思想であった「産霊」に関わる捉え方の諸相を明らかにした。その結果、以下のことが明らかとなった。 「産霊」の思想は、日本の神話に記されている始めに登場する三柱の神が、人の住む世界を創造し、その後、自然や動植物に至る万物を神が生みだしたと捉える、考え方である。 このような考え方は、特に国学思想を中心に展開し、当時の天文学をも取り入れて、宇宙の創成の神として、位置づけられるようになる。このような思想の下では、「人」は、神の被造物とという位置に置かれるが、天明元年に生まれ、文政一三年に『もとつみはしら』という著書を著した、中盛彬は、その著書の中で、「産霊」を神の出現以前の状態だとし、万物は「産霊」から生まれ、「神」は万物の「産霊」を主宰するために宿ると主張した。 彼の「産霊」の思想は、近世後期の「産霊」の思想の中では独自な性格を有するが、その性格は、彼が傾倒した、中村孝道の「言霊」論によるものであることが、明らかとなった。 そして、このような中盛彬による「産霊」の捉え方は、上記のとおり、人を神による被造物としないことにより、個人の主体性が形成される可能性を持つものと評価できる。このような思想が存在していたことは、近代化の過程で国学が有した、国民形成における限界性を超える性格を持つものであるということができる。
|