研究課題/領域番号 |
12610401
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
西洋史
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
青木 康 立教大学, 文学部, 教授 (10121451)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2001
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研究課題ステータス |
完了 (2001年度)
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配分額 *注記 |
1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
2001年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
2000年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | イギリス議会 / 下院議員 / 選出区移動 / 生涯選出区数 / 国民代表 / 議会 |
研究概要 |
本研究は、1803年5月1日および1815年3月1日時点の全下院議員の伝記的データを検討することを通じて、19世紀初頭におけるイギリスの下院議員がどの程度まで国民代表となりえていたかを考察しようとするものである。 上記2時点の下院議員の平均の生涯選出区数は、1803年については1.78、1815年については1.88であった。この数値を1725年、1746年、1767年、1787年について得られているデータ(生涯選出区数の概念、、および18世紀の4時点のデータについては、青木康『議員が選挙区を選ぶ18世紀イギリスの議会政治』山川出版杜、1997年、第4章を参照)と比較してみると、19世紀の初頭には下院議員が選挙区を移る傾向が強まっていたことが分かる。このことは、議員たちが国民代表として行動するための準備が、より進んでいたというように解釈することが可能であるかもしれない。 しかし、他のデータを調べてみると、この結論は必ずしも支持されない。他の州の選挙区に選出区を移した下院議員は、18世紀の末と比較して19世紀の初頭では増加してはいない。また、イングランドの州選挙区あるいは開放型の都市選挙区を代表する議員たちは、依然として君主のもとで官職を受けることに消極的であった。 このことから、本研究においては、19世紀初頭のイギリス下院は、いまだ真の意味の国民代表の集まる議院とはなっていなかったと、ひとまず結論づけたい。
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