研究課題/領域番号 |
12610420
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
考古学(含先史学)
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
山浦 清 立教大学, 文学部, 教授 (50111589)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2001
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研究課題ステータス |
完了 (2001年度)
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配分額 *注記 |
2,100千円 (直接経費: 2,100千円)
2001年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
2000年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | 弥生時代 / 続縄文時代 / 漁民 / 生業 / 漁具 / 漁業史 / 縄文時代 / 銛頭 / マレク |
研究概要 |
縄文時代より、北九州から朝鮮半島にかけて、クジラを含む海獣類・大形魚類を対象とした漁撈民が活発な活動を行っていた。こうした人々の活動域は、朝鮮半島日本海岸を経て、ロシア沿海州の「貝塚文化」に知られる地域まで達していた可能性がある。それは彼等の使用した特徴的漁撈具としての回転式銛頭の分布から確認される。またこうした人々が、弥生文化、すなわち日本列島への初期水稲農耕文化の伝播においても大きな役割を果たしたと想定される。つまり彼等の動向は、その回転式銛頭の広がりが明瞭に示している。日本列島日本海側では、弥生時代の遺跡として近年注目されることとなった鳥取県油谷町青谷上寺地遺跡でも知られ、さらに、その流れは北海道南部、続縄文時代の恵山文化にまで確認される。太平洋岸において見るなら、彼等は瀬戸内海に入り、紀伊半島先端部を経由して、東海地方に達したと結論付けられる。ただし東日本においては、そうした漁撈民・農耕民の流れの中に、縄文文化以来の伝統を引き継ぐ漁撈民が参入したと想定される。こうした漁撈民・農耕民の動向を考えるなら、弥生時代の社会・文化を、一般的に描かれる「純農村」的社会として描くことには大きな問題があるとされよう。弥生文化の動向に、活発な漁撈民の存在を想定する必要がある。さらに、こうした結論は、日本史学者あるいは民俗学者等が以前より説くところの日本文化の基層としての「海洋民」的性格を説明する一証左となる。
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