研究概要 |
平成14年度末現在,全国の「かしら」の遺存地約150ヶ所,4500個程の「かしら」の調査を済ませた。現在まで主に取り組んできたのが,人形の表現上重要な意味を持つと思われる「かしら」のうなづき形式の発展過程に関する問題である。三人遣いかしらの主なうなづき形式には「引栓式」「小猿式」「ブラリ式」があるが,各形式の分布状況を民俗学の周圏論で解釈することで「引栓式」はごく新しい形式で,「小猿式」はその前の時代の操り方であり,「ブラリ式」は「小猿式」が近代になってから変形したもの,という時間的前後関係に関する一つの仮説を提出した。また,一人遣いから三人遣いへ移行する過程を解き明かすために鍵となるのが,もう一つのうなづき形式「偃歯棒式」(偃歯首)である。この形式は三人遣いと佐渡文弥人形・鹿児島県文弥人形などでは一人遣いの中に「偃歯棒式」の形跡を残す「かしら」が存在していること,また分布状況から考えて「偃歯棒式」は「小猿式」の前段階に位置するうなづき形式と予測できる。更に「偃歯棒式」・「小猿式」が連続しているところから一人遣いから三人遣いへまたがるうなづき形式ではないかと推測している。また,人形の本質・人形操りの発生の問題を含む人形三番叟・人形式三番についても,以前からいわれているように能の式三番を取り込んだことは明らかだが,全国の人形三番叟・人形式三番の「かしら」の形式・機巧を整理すると能の式三番とは大きな違いがみられた。その違いを分析・考証した結果,従来江戸時代初期もしくはそれ以前としてきた人形式三番の発生を,本来の宗教的な人形が早い時期から存在していて,そこに後になって能の式三番形式を人形に取り入れたのではないか,即ち人形式三番の成立は江戸時代後期ではないかとの仮説を立てた。以上はいずれも調査途中の仮説である。より多くの資料を収集し,仮説をより確実なものにしていきたい。
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