研究課題/領域番号 |
12610496
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
英語・英米文学
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
太田 一昭 九州大学, 言語文化研究院, 教授 (10123803)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2002
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研究課題ステータス |
完了 (2002年度)
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配分額 *注記 |
1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
2002年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2001年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2000年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | 地方巡業 / 浮浪者取締法 / 初期英国演劇 / 演劇史 / エリザベス朝演劇 / 英国ルネサンス演劇 / 統制 / 検閲 / エリザベス朝 / 大衆演劇 / 旅役者 / ロンドン / 劇団 / イングランド / ルネサンス / 演劇統制 / パトロネジ / 公演認可 |
研究概要 |
平成12年度から14年度までの3年間において、関係資料を収集し、併せて、3篇の論考と1巻の資料集とを執筆した。その内容は次の通りである。 "Elizabethan Players and the Vagabond Acts"(2001):通説によれば、エリザベス朝に施行された浮浪者取締法は旅役者の巡業活動を制限したのであるが、本稿はこれに疑義を呈し、取締法が巡業劇団を保護したのだと論じた。というのも、取締法は浮浪者として処罰される役者や芸人や商人を細かく規定しているが、王侯貴族をパトロンとする劇団は処罰の対象からはずされているからである。この除外規定によって、多くの劇団が「合法的に」地方を巡業することができたのである。 「英国歴史劇はスチュアート朝において衰退したか」(2002)は:旧来の学説は、英国歴史劇はジェイムズ朝以降衰退したという。これに対して筆者は、ジェイムズ朝・チャールズ朝においても多数の歴史劇が上演されていた可能性が大きいことを、ヘンズロウの「日記」や戯曲古版本の調査を通して論証した。従来の演劇史は、創作・初演情報にあまりに依存している。リヴァイヴァルを考慮に入れれば、ジェイムズ朝・チャールズ朝においてもかなりの英国歴史劇が上演されていたと推断せざるを得ない。 「エリザベス朝の旅役者たち」(2003):従来、エリザベス朝の劇団の地方巡業は疫病流行との関連で理解されることが普通であったが、実は大半の劇団が疫病とはかかわりなく地方を巡業した。ロンドンは当時最大の演劇市場であった。しかし芝居が打たれたのはロンドンだけではなかった。この時代、多数の劇団が地方の市や町や村を巡業した。彼らにとってロンドンは最も重要な興行地であったが、地方もロンドンにおとらず重要であった。旅回りは特殊な興行形態ではなく、通常の興行スケジュールに組み込まれていた。巡業に出ることが少なかった1590年代後半の宮内大臣一座は、例外的な劇団であった。 Documents relating to the Control of Early English Drama『初期英国演劇統制資料』(2003):ヘンリー八世即位年(1509年)からチャールズ一世時代末期(1649年)までの演劇の検閲・統制関係資料をまとめて、年代順に列挙したものである。所載資料は、演劇の統制に関する議会制定法、枢密院令、国王布告、上演許可あるいは禁止に関する公文書、上演禁止請願書、上演許可願い、演劇がらみの事件や筆禍を伝える書簡や文書、俳優の庇護にかかわる資料から構成されている。
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