研究概要 |
本年度は、研究の総括を行うとともに、特に、熱帯医学の展開に関するサーベイを行った。昨年度までの研究において、産業構造の変化によって疾病構造、とくにマラリアの流行が左右されたことは明らかである。また、19世紀末から展開されたマラリア対策は、戦前においてはマラリアを根絶するにはいたらなかったが、一定の成果をあげ、戦後の米軍統治下で進められた対策によって、マラリアは根絶されることになった。これは、当該時期の占領政策の一環であったが、戦前までの統治システムのうえにDDTの残留噴霧を中心とした対策が進められたことは、社会制度の再編と密接な関係を有していたと考えられる。 台湾で、ヒューマン・アプローチが強調されたため、近代日本のマラリア対策は、全体として,ヒューマン・アプローチを中心とするものになった。そうした傾向は、第二次大戦中に、中国南部や東南アジア、ニューギニアに戦線が拡大し、マラリア対策が求められたときにもあまり変化はなかった。台湾におけるレッスンによってしか対策を進めることが出来なかったのである。こうした方法は、それを支えるシステムの問題も含め、台湾でも八重山でもマラリアを完全に抑制することは出来ず、結果として、マラリア研究がさかんに進められたにもかかわらず、第二次大戦の戦場では多くの将兵がマラリアに倒れた。ある種のアノフェレス・アプローチであった米軍の対策がかなりの成功を収めたこととは対照的である。しかし、今日では、その方法も見直しが必要となり、実際のところ、第二次大戦後にWHOが推進したマラリア根絶計画は、抑制計画へと後退せざるをえなくなった。
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