江戸時代の市場経済は、同時代の欧米に勝るとも劣らない先進性を持っていた。米本位制度という枠組みの中ではあるが、貨幣経済の発展には目覚しいものがあり、世界初の先物市場といわれる堂島の米市場が開設された。また、いわゆる「天下の台所」大阪では、金融・為替を業務とする両替商が成長を遂げ、確固たる信用制度を築き上げた。当時の商人達は、創意工夫をこらし、市場経済の原型ともいえるものを生み出してきた。現代日本経済の原型は、ある意味では、江戸時代にあると言えるかもしれない。 この米の価格変動リスクのヘッジを目的として、享保期(1716〜36)のはじめに、先物取引が考案された。そして、1730年、8代将軍徳川吉宗により、帳合米取引と呼ばれる「米の先物取引」が許可され、大坂の堂島に、世界で最初の先物取引所である堂島米会所が誕生した。これは、当時の経済環境の中で必要に迫られ自然発生したものである。堂島米会所では、米切手を売買する「正米商い」と米の先物取引である「帳合米商い」が行われていた。仲買人は証拠金として一定量の銀をおさめれば、取引当日、証拠金の100倍の取引ができた。先物取引は、投機やヘッジを行おうとする商人にとっては格好の市場であったため、その後、大きく発展した。このように、堂島米会所は、世界で最も早く成立した先物取引制度を備えた商品取引所であり、大坂商人の才覚を端的に示すものということができる。 本プロジェクトでは、特に先物市場に焦点をあて、当時の先物市場の持つ頼致について現代的視点から実証的に分析を行った。その結果、当時の米先物市場が現代の金融市場と幾つかの点で共通する特徴を示すことができた。
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