研究課題/領域番号 |
12710024
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
美術史
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
田島 達也 北海道大学, 文学研究科, 助教授 (40291992)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2001
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研究課題ステータス |
完了 (2001年度)
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配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
2001年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2000年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 北前船 / 近世絵画 / 京都画壇 / 日本美術史 / 蠣崎波響 |
研究概要 |
本研究は上方と北海道を結ぶ舟運のルート上で、美術についてどのような交流が見られるかを探っていくものであった。今日の交通と異なり、船で物資を運ぶ際には沿岸に多くの寄港地を必要とする。それは各港が、航路という見えない糸でつなぎ合わされていると見ることもできる。上方・北陸・東北・北海道(蝦夷地)という文化的ルートを、様々な角度から検証した。 美術工芸は、北前船の中心的な積み荷ではなかったが、海運で栄えた町の豪商は、上方から様々な美術品を取り寄せたといわれている。そこで日本海沿いに、北前船の寄港地もしくはそれと関係の深い町を直接訪ね、現地の資料館等で現存する作品の情報を集めた。昨年度の調査と合わせ計30カ所あまりの施設で、絵画を中心に調べたところ、比率から言えば、江戸後期から明治初期の京都画壇の作品が少なくないことが確認された。ただ、かつてコレクションされた美術品が散逸してしまったという話も多く耳にした。そこで現存作品による断片的な情報を補うため、関連する町の市史、町史の類にあたり、上方で学んだ絵師やその弟子の地方での活躍について情報を集めた。数はそれほど多くないものの、蝦夷における蠣崎波響、秋田における長山孔寅・平福穂庵、金沢・富山における岸駒などは、その土地に上方風の絵画を根付かせる上で大きな影響を与えていたことがわかった。 蝦夷地から本州への影響の例もあった。アイヌの風俗を描いたいわゆる「アイヌ絵」は、江戸中期以後しばしば制作されたが、その用途などはよくわかっていなかった。今回調べた中で、北前船の寄港地である福井県の河野町でアイヌ絵を確認した。その土地の人の、蝦夷地への好奇心を物語るものであり、アイヌ絵への需要の一端を知ることができた。
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