天暦の時代というのは数多くの宴が催された時代であり、その宴では多く管弦が催されていたと推測されますが、それはまさに村上天皇自身の芸能への愛好によるものです。天皇はまた自らも作詩また管弦に興じましたが、その村上天皇の詩句に現れた管弦に関する表現を論じることで、この時代の傾向の一端を明らかにしました。 また「式部省補任」を作成し、現存する資料を編成することで、式部省の卿・大輔・少輔・大丞・少丞・大録・少録・文章博士を編年で集成し、当時の学者の全体像を掴むという作業を行いました。平安官人にとって最も大切なことは、昇進社会的地位の向上であったはずです。官人特に儒者においては、その思想が彼らの作品から窺えるのですが、その水面下にはその何倍もの彼らの意識、生活背景、さらには社会情勢が潜んでいるのです。たしかに文学作品に現れた意識は、官人の意識の一部分でしありませんが、しかしそれは最も凝縮した部分であるとも言えます。その文学作品に現れた平安人の意識のエッセンスと社会状況の二面を捉えることによって、儒者および文人などの平安時代の官人の現状が明らかになると考えます。私はそのことを主眼において文学・思想・歴史を含む平安時代の文化を考察し、今後の研究の基盤を築きました。
|