研究概要 |
愛媛県は,地理的に東予・中予・南予の3つの地域に分けられる。東予地域に限ってみると,この地域には,幼稚園は大正末までに3園しかなく,その内の1園は開園の翌年には経営の問題もあって廃園しており,実質2園(今治・三島幼稚園)しか開園されていなかった。この2園は,ともに仏教系幼稚園である。今治幼稚園は,1905(明治38)年に設立され,愛媛にあっては,仏教寺院における幼児教育の嚆矢であり,日本の仏教系幼稚園の歴史においても,黎明といっていい時期に創立されている。 両園は,若き住職がその設立に関わっているが,設立の契機については相違がある。今治幼稚園の場合,近所の幼児が自然発生的に寺院に集まるようになり,それを準幼稚園といってもいい共話会幼稚部が世話をし,さらに幼稚園へという形で発展している。キリスト教系の幼稚園の多くが,その前身に,子どもを集めた日曜学校があったように,今治幼稚園にもその萌芽に,類似の現象を認めることができる。三島幼稚園については,住職が常々抱いていた地域の文化的状況への危機感が,その設立の動機を形成していた。将来の文化の担い手としての幼児に期待をかけるという,長期の展望をもった動機が,そこにはあった。両園の設立の経緯がこのように少々異なろうと,もちろん,園の活動は仏教的見地を加味した保育を共通にしていた。両園ともに,檀家をふくめ地域から好意的に受け止められ,愛媛の仏教系幼稚園の先達として歴史を重ねてきている。
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