本研究の目的は、1960~1980年代にメキシコ系農業労働者と日系人農家が農業を通して相互に対立・依存しながらアメリカ社会に包摂されていったプロセスを考察することである。本年度は、(1)メキシコ系アメリカ人(およびメキシコ人移民)と日系アメリカ人(および日本人移民)の相互関係を中心に、アメリカにおける異なるエスニック集団問の関係等の先行研究を調べること。(2)そのような相互関係について具体的な地域や年代を調べ、海外調査のための準備を進めること。(3)環太平洋地域における移民の動態について理解を深めるため、移民に関連する学会や研究会に積極的に参加することである。 (1)の点については、アメリカで出版された書籍を中心に読んだ。1970年代カリフォルニア州で、日系、メキシコ系、アフリカ系の左翼活動家の若者らが、アメリカ社会におけるマイノリティの被抑圧的立場について互いに共感しながら運動を展開していたこと(Pulido 2006)や、1965年以降ラテンアメリカとアジアからの移民が急増し異なるエスニック集団問の連携の契機が生まれた一方で、リベラル多元主義的な言説がアメリカ社会のエスニック集団間の格差を覆い隠していること(Deverell and Hise eds 2010)などについて理解を深めた。また、人種的・民族的に多様な社会にこそ、排他的な国民国家の概念を変容させる可能性があること(Faulks 2000)など、マイノリティと市民権の関係について理論的な考察も深めた。(2)については、『南加州日本人七十年史』(南加日系人商業会議所1960)を参考に、日本人移民とその子孫が戦後のカリフォルニア州において、どの地域でどのような規模の農業を再開し、メキシコ人労働者をどの程度必要としていたのかについて具体的な情報を調べた。その過程で、オレンジ郡では日系農家と白人農家が共同で農家組合を組織し、メキシコ人労働者と日本人労働者を受け入れる準備をしていたことが分かり、今後の海外調査の足掛かりになると考えている。(3)については、5月に関西アメリカ史研究会例会にて、修士論文の成果を発表した。また、同月、立命館大学に在籍する若手研究者を中心に結成された「環太平洋におけるトランスナショナリズム研究会」に参加し、移民研究について意見交換した。
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