「存在論的「構造」再考、全体性を具現化し、体現することとしてのハイデガー哲学」と題した本研究計画においては、ハイデガー哲学における「構造」と「その都度性」という存在に関する2つの契機を中心にして研究を実施することが予定されていた。この計画に従い、初年度においてはまず「その都度性」がその概念史的起源を持つと考えられる、フッサール『論理学研究』における「本質的に偶因的な表現」に迄遡り、理解を深めた。「本質的に偶因的な表現」とは、例えば「私」という言葉に見られるように、具体的で一回的な状況へと指示するという意味機能を発揮する表現であるが、この〈本質的に偶因的な表現〉の考察を踏まえて、ハイデガーの「そのつど性」という規定も、事実性におけるそのつどの固有な状況へと指示することが明らかにされた。この点で、ハイデガーが探求する〈存在〉に関しては、いかなる意味においても、固定的で絶対的なものではありえず、存在は、ただ「その都度」具体的状況を指示するだけであるという点で、他なる状況への変様可能性を常に保持することが又明らかとなった。存在が持っ「そのつど性」という契機は、詰まるところ、本来性への変様の根拠を成すのである。 以上のような初年度の研究成果に基づき、本年度は、「その都度性」により変様されるべき具体的状況と、歴史の関係について考察が更に深められた。ハイデガーによれば、歴史とは、我々の事実存在(=実存)が「反復不可能性」を現実のものとすることにより、可能となるものである。言い換えるならば、これは我々の実存が、具体的状況においてその都度的となることによって、反復不可能性としての歴史が実現することを意味している。しかしながら我々の実存には、この反復不可能性を覆い隠してしまう頽落傾向(=非本来性)が存する。「その都度性」が指示するところの反復不可能性としての具体的状況を目指して、隠蔽としての非本来性から本来性へと、実存が生きる具体的状況の変様を図ることが即ち反復不可能性としての歴史を現実化することを意味する。本年度は大略以上のようなハイデガー哲学の本質的動向こ焦点を絞り研究を実施した。
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