研究課題/領域番号 |
12J01398
|
研究種目 |
特別研究員奨励費
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
東洋史
|
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
鈴木 開 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 特別研究員(DC2)
|
研究期間 (年度) |
2012 – 2013
|
研究課題ステータス |
完了 (2013年度)
|
配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
2013年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2012年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
|
キーワード | 朝鮮王朝 / 後金 / 外交 / 明清交替 / 朝清関係 |
研究概要 |
最終年度においては、朝鮮国と後金国の外交関係の構築期(1627―1632)、後金(清)が志向する外交体制への朝鮮の強制的編入期(1633―1637)における両国問の外交交渉の実態解明に取り組んだ。構築期については、まず後金(清)の第一次朝鮮侵略(1627)時の外交交渉を双方の基礎史料に基づいて分析し、講和に際して結ばれた盟約の暫定性と、当時の両国関係の流動性を指摘した。続いて、朝鮮の対後金使節が作成した報告書中、特に重要と判断された魏廷喆『藩陽往還日記』を精査した。当該史料により、外交交渉や使者の迎接儀礼を検討した結果、魏廷喆一行が派遣された1631年においては、関係継続という点で双方の認識は一致していたことが明らかになり、通説とは異なる実態が示された。編入期については、後金(清)の第二次朝鮮侵略(1636―1637)時の外交交渉について史料研究を行った。まず従来の研究で主として参照されてきた羅万甲『丙子録』を検討したが、当時の外交交渉の経過については十分な情報を有していなかった。このため朝鮮側基礎史料を改めて精査したところ、国王の秘書官庁の公的記録である『承政院日記』に外交文書の作成過程や外交交渉の経過が比較的詳細に記されていることが判明した。その他関連史料もあわせて検討した結果、後金(清)の第二次朝鮮侵略の原因は、従来いわれていた朝鮮側の反後金(清)感情によって説明されるべきではなく、後金から清への体制変化と、その背景でもあり帰結でもあった国際関係の変化という観点から理解され説明されるべきであることが明らかになった。 以上の研究から、明清交替に際して、朝鮮が後金への使節派遣を中心に外交的対応を模索していたことは明白となったが、当初の想定以上に関連史料が存在することが分かり、朝鮮の外交的対応の全容を解明するには至らなかった。今後は新出史料の検討を中心に研究を進めていく必要がある。
|
今後の研究の推進方策 |
(抄録なし)
|