研究概要 |
本研究の主たる目的は,神学書・法学書を中心としたイスラーム古典の渉猟・読解を通して,イスラームにおける死生観と生命倫理とを文献学的に明らかにすることにあった。このため,最終年度となった本年度はまず,イスラームにおいて人間はいつ生まれると考えられているのかを,イスラーム第二の聖典である預言者ムハンマドのハディース(言行録)の中で探求した。それによれば,「胎児は滴として40日,凝血として40日,肉塊として40日を過ごす。それから魂(ルーフ)を吹き込むために天使が送られる」という。すなわち,胎児は受胎後120日で人間となるのであり,人間に生命を与えるのは魂と考えられていると見ていいだろう。ここから,妊娠4か月以降の堕胎を禁止するイスラームの生命倫理が導き出される。一方,臓器移植のように,人間の死に関わる生命倫理について,イスラーム聖典は明確な答を持っていない。したがって,死に関わるイスラーム古典の生命倫理を解明するためには,コーラン注釈者たちが残した「魂」に関する議論を精査する必要がある。ファフルッディーン・ラーズィーやイブン・カイイム・ジャウズィーヤによる著名な注釈書を調査した結果,明らかになったのは,彼らが,「魂」が肉体を離れれば人間は死ぬ,と考えていたことであった。しかし他方で,ガザーリーのような著名な神学者が異論を唱えていた事実も明らかになっており,魂が人間の生死を分けるものと断定することはできない。なお,上記の研究成果は,「古典学の再構築」A04班が開催した共同研究会「魂論の諸相」において,「現代の生命倫理論に現れるイスラーム古典の<魂>」として口頭報告を行ったほか,来年度中に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所から刊行されるガザーリー著『結婚の書(宗教諸学の再興より)』の邦訳解説の中で詳しく言及する予定である。
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