研究概要 |
中世の壁画やステンドグラスを「文字を読めない人々のため聖書」とする安易な見方を根本的に問い直し,イメージと文字テクストの差異,イメージがそなえる独自の可能性,イメージと言葉の共同作業について展望し.シャルトルのステンドグラスが果たしえた機能についての見通しを示す.次にステンドグラスのメッセージが誰によって発信され誰を受け手としていたかという問題について,最近の研究者がとる多様な立場を論じる.さらに,大聖堂を管理する高位聖職者が一貫して図像を構想した主体であるという,筆者の立場を明らかにする.またメッセージの受信者として,聖職者も含め,教会を構成する信徒たちの集団を措定するという推論を作業仮説として提示する.シャルトル大聖堂のステンドグラスが一貫して執拗にキリスト教会について語っている.その背景としては,1200年前後のカトリック教会が直面していた状況,すなわち内部における異端,ユダヤ教徒,聖職売買などの問題、さらにビザンティン世界やイスラム世界との接触があるだろう.こうした状況の中で,聖職者も含めた教会の構成員に対して,司教座が置かれる聖堂という公的な空間で,範例となる教会の姿を提示し共有させることが求められたと思われる.この意味で,シャルトルのステンドグラスには,地域性を超越したきわめて普遍的で包括的なメッセージが込められていた.ステンドグラスという媒体によってのみ獲得できる認識を通じて,身近で具体的な事象から抽象度が高い理念へと段階的に上昇していく過程が.シャルトルの窓には組み込まれている.さらにいえば,このような階層性と連続性は,当時教会の中に構築されようとしていたシステムのデザインと無関係ではないと思われることを示唆しておく.
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