研究概要 |
本研究は,1990年代にスリランカにおいて展開された小規模金融政策,すなわちジャナサビヤ計画とサムルディ計画の系譜を民族誌的に描き出すことを目的とした。とくに政策決定に関わったさまざまな開発援助機関と知識の関係を明らかにし,南アジアの他の国と同様に,スリランカにおいても,なぜグラミン銀行モデルが優先的に選択されたのかを明らかにしようとした。しかし残念ながら収集した資料の分析は時間切れとなり、完全な形でここに報告することはできないが、今の段階でいいうる知見もある。それは以下の2点である。 1.小規模金融政策の会議が数十回も行われたが、そのどれを見ても基本的な語彙、概念は当初のグラミン銀行の枠組みと同じで、同じ政策立案者・研究者が、異なった場で若干の粉飾をこらして議論しているだけで、その「フォーム」に大きな変化がなかった。つまり「知識」は一つの合い言葉のように流布し、その官僚主義的で空疎なところにこのモデルの広がりうる「力」があるといえるだろう。この意味で、最初の仮説であった業界内の市場の「力」とは異なった、官僚主義における別の「力」の存在が分かってきたといえる。 2.当時のアクターへの聞き取りを通して分かったことは、彼らは多くことを記憶していないという点である。それは、上記の「官僚主義的な空疎」さ故に、仕事をこなすことのみに専念し、問題の掘り下げをさけてきたからであろう。この点は、開発における知識と記憶の問題系が明確になってきたということである。なお、この点を今回の研究では問題にし、「開発の記憶」という議論も行った。
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