研究概要 |
近世後期における伊勢神官の存在形態について,政治史的角度から分析し,その国家的位置や機能について解明するため,以下の研究を行った。 まず第一に,関白・武家伝奏関係史料の収集・検討を行い、幕府・朝廷・伊勢神官の関係変化を追跡した。特に,幕藩政治の行き詰まりのなかで,朝廷存在がクローズアップされてくる天明・寛政期を焦点として調査を行い,幕府・朝廷双方が神宮の位置づけを段階的に上昇させ,儀式内容にも積極的に容喙するなど,対神官政策に萌芽的な変化があらわれてくることを整理した。 第二に,伊勢神宮内部の動向を探るため,神宮内部に残された膨大な記録類のうち,天明期から寛政期にかけての一祢宜(長官)日記の解析を進め,内外官の神職が,朝廷や幕府,さらには宇治・山田の御師集団とも異なる,独自の論理と利害を有する集団として活動する点など,基本的な史実の確定につとめた。 第三に,伊勢神宮をめぐる政治的社会的環境の復元について,近年の都市史研究の成果を吸収しつつ,御師の動態分析などを通じて宗教都市伊勢の実態に迫った。その結果,18世紀後半から顕著にみられる御師数の減少は,宗教都市伊勢の地盤沈下を反映したものと判断され,流行神の影響や民衆による伊勢信仰の変化など,その背景については慎重な検討を要すすものの,宗教都市を歴史段階的にとらえていく視点の重要性を再確認した。 今後は,これらの成果にたち,引き続き19世紀段階における伊勢神宮の存在形態についても具体的な検討を行い,幕末維新期への見通しをつけていく計画である。
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