研究概要 |
この研究によって次のことが明らかになった。 平氏の従者たちは,平氏一門を構成する各家に、それぞれ個別に従属していた。それら各家の軍事集団が寄り集まって、平氏の正規軍を構成した。各家の中でもっとも有力な軍事集団は,重盛と宗盛が率いていた二つのグループである。平氏の二つの有力軍事集団については,次の事実が明らかになった。 源平内乱期の前半,重盛家の御家人を統率していたのは,彼の後継者維盛であった。維盛を後見したのは、彼の乳母の夫である藤原忠清であった。重盛が死亡した後、平氏の後継者になった宗盛も,多数の御家人を統率していた。しかし,巨大な権門の公的な代表者である宗盛が,自ら軍を率いて戦場に出ることは、実際にはあり得ないことであった。そのため,彼の代官として宗盛の家人の指揮を執ったのは、同じ母から生まれた弟の知盛および重衡であった,ことに後者は武勇にすぐれているという評判があった。重衡は藤原景家の子供たちに助けられながら合戦を遂行した。景家は宗盛の後見人であり、そして忠清の弟である。 その他,主題の背景を明らかにする研究、あるいはその展開になる研究を精力的に行った。まず,延暦寺の僧侶集団による嘉応・安元の強訴についての詳細な復元研究を行った。平氏家人はこの強訴を制御するために動員された。その他、王権をめぐる後白河院と平氏の葛藤についても分析をおこない,論文として完成させた。その他、論文一編を書き、また一つの史料の翻刻を行った。これらは、みな本年三月から七月にかけて印刷刊行される。
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