オセアニアの伝統的土器文化の広がりは西部太平洋に限られていたが、考古学的には人間集団の移動初期にはより広い範囲で土器が作られていたことが明らかになっている。世界でもめずらしく、土器作りが文化複合から脱落したのである。その原因および、土器作りの多様性が生まれた背景を文化的側面および技術的側面から考察した。 土器の変化を定義する場合、土器の器形、硬度、色、文様、大きさなどが主要な対象要素となる。これらのうち、社会的要求によってもっとも左右されるものは、器形、文様、色、大きさであろう。しかし、これらは技術的影響もまぬがれるものではない。特に、土器作りの諸要素は自然環境の影響を受けるものが多い。例えば、粘土、水、砂などである。粘土の質がよくなければ作り手はさまざまな工夫をしてなんとか社会的な要求を満たすものを作ろうとするが、最終的にどこで双方が妥協し合うかは、土器の社会的必要度と土器制作に費やすエネルギーのバランスによる。このバランスをどこでとるかは社会によって異なる。 本研究で特に検討したミクロネシアの土器作りのなかで、ヤップの場合は土器作りに必要なコストが非常に大きい。それにもかかわらず、かなり複雑な技術が工夫され、作り続けられてきた背景には、代用調理法を用いることが難しい自然環境による制約と、社会的な必要度の高さとがあったことが考察できた。これらが土器作りを中止することを許さず、むしろ低階層の村の女性が専門的に土器を作るとして発展したことが考えられる。
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