日本では、1996年のらい予防法の廃止をきっかけにして、ハンセン病の患者たちが不当な法律によっていかに人権を踏みにじられてきたかについての関心が高まった。1998年には、元患者たちが、熊本地方裁判所に国家を相手どった賠償請求を起こし、2001年に熊本地裁は原告勝訴の判決を言渡し、それに対して日本政府は控訴を断念した。このことで、日本政府は、近代日本の国家が、日本の医学界の誤った見地に則って、世界でも例の無い患者の終生隔離を行なって来たことを認めたことになった。 二度とこのような不幸なできごとを繰り返さないために、わたしたちは、なぜこうした過ちが起こったのかを理解し、ハンセン病の患者たちがどのような扱いを受けてきたか、またそうした苛酷な現実の中でどのように生きてきたかについて学ばなければならない。わたしたちが患者たちによって書かれた文学作品を読むことは、彼らの声に耳を傾け、歴史的な状況を知る上で、有効である。しかし、これまでは一部の作家のごく限られた作品だけが文学研究の対象とされていたに止まっていて、教育プログラムの中でハンセン病文学を扱う際に、どのようなことに注意をすべきかについて論究されるには至らなかった。 この研究では、大学生たちとの2年間にわたるゼミナールの徹底分析に基づいて、学校教育と社会人教育の両方に、文学を通じてハンセン病の問題を考えるプログラムの提言を行なっている。その際に、次の三点の重要性を挙げた。 (1)ハンセン病の患者像を複数化することへの挑戦 (2)文学言説の可能性と限界への認識 (3)ハンセン病の文学作品を、患者と健常者との共同制作として捉え直す この研究では、いずれの点に関しても、近代日本のジェンダーについての視点を導入することが、極めて有効であるとの結論に達した。
|