マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第6巻『逃げ去る女』の主要テーマは忘却である。話者は、忘却の最後の三段階で忘却の一般法則を展開する。しかるに、N.モーリアックが近年発見した第六巻の新資料は("最終稿"とまで称して出版された)、これほどまで心的現象としての忘却を完成させたプルーストの意図を無視するかのように、忘却論が展開される「ヴェネチア滞在」の章が削除されている。筆者はかつて、このは新資料は雑誌『レ・ズーヴル・リーブル』に記載予定であった第6巻の抜粋であるという仮説を発表した。この仮説を裏付ける証左として、『失われた時を求めて』では、いかに忘却のテーマが必須であるかという事実を、今回は第2巻『花咲く乙女たちのかげに』について考察した。フランス国立図書館所蔵の「1914年のグラッセ棒組校正刷」と現行版を、話者とジルベルトの恋愛にかんして比較研究した。校正刷の第一部では忘却は存在しなかった。話者の関心がいつしか母親のスワン夫人にむかい、第二部ではジルベルトはたいして役割を担っていない。現行版第二部の冒頭で、話者はジルベルトへにたいする忘却がほぼ完成したと叙述する。この叙述の矛盾性・曖昧さを物語の論理の観点から分析して、作者プルーストの意図を考察した。その結果、第一部と同様に、話者とジルベルトとの恋愛は終焉を迎えていないことが判明した。しかしプルーストは、現行版では話者が彼女を慕う記述の箇所を削除せず、保持していた。この事実は物語の流れからいえば、一貫性を欠き、冒頭の叙述は一種の"マニフェスト"的意味しかもたない。現行版においてこの巻でアルベルチーヌを登場させる必要にせまられた、プルーストのいささか性急な物語上の矛盾した配慮が形になってあらわれたといえよう。以上の内容を学部の紀要2回に書いた。
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