研究概要 |
本年度の研究は、高度成長期における日本電気の組織変化とその要因に関する資料整理および分析に重点がおかれた。日本電気の事業部制組織は、1961年に4事業部でスタートした後、1965年に小林宏治社長のもので事業部の細分化がすすめられ12事業部となり、これらの細分化された事業部を統括し、戦略的な意思決定をおこなうためのトップマネジメント組織として常務会がおかれた。通信事業をベースに、コンピュータ事業、半導体事業などが急成長し多角化が進むなかで、分権化が進められる一方、企業としての全体戦略を明確にする必要性が高まったのである。1970年には事業グループ制が導入され、性格が似通った事業単位ごとに統括する仕組みが作られて、組織の階層性がより強められた。このように事業部制組織のもとでの分権化が進みつつも、その過程では、開発本部、販売本部、推進部など、職能別の事業部組織が並行的、一時的に設置される例も多かった。加護野忠男が指摘した機能別事業部制という特徴が、日本電気の場合にも見られたのである。しかし、日本電気のケースを分析すると、機能別事業部は事業部制としての機能の不十分さを示すのではなく、むしろ経営資源の有限性を緩和するための組織であり、柔軟な組織運営によって、とくに半導体とコンピュータという関連性をもつ事業間のシナジー効果を機能させるのに役立った(Shin Hasegawa, The Americanization and Japanization of Electronics Firms in Post-War Japan,"America as Reference? German and Japanese Industry during the Boom Years")。以上のような日本電気のケースと事業部制の導入が遅れた沖電気工業のケースを比較検討する作業を今後進めていく。
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