研究課題/領域番号 |
13672506
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
臨床看護学
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
大原 良子 広島大学, 医学部, 講師 (40325163)
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研究分担者 |
藤井 由布子 (稲葉 由布子) 広島大学, 医学部, 助手 (90335654)
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研究期間 (年度) |
2001 – 2002
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研究課題ステータス |
完了 (2002年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
2002年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
2001年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 被爆者看護 / 救護 / 広島 / オーラルヒストリー / フェミニズム / 被爆症状 / 看護史 / 戦争 / 女性史 / 終戦 / 原子爆弾 / 歴史研究 / 看護婦の歴史 |
研究概要 |
1945年8月6日広島に世界で初めての原子爆弾が武器として使用された。この原爆による被害者(以下被爆者)に対する救護活動を行なった看護婦の体験をオーラルヒストリー法により研究を行った。データは、面接により収集し、データは録音テープに記録し逐語記録を行った。18名の方から面接のデータを収集できたが、看護婦としての役割を担っていなかった1名を削除し、17名のデータを使用した。逐語記録されたデータを時間の流れに沿って整理しカテゴリー化した。 参加者の内訳は、6名、8月6日広島市内の病院に勤務しており、自身も直接被爆を体験することになりながらも救護活動を行なった方であった。その他の6名は隣接の県から、救護のために広島市内または、臨時の救護避難所へ召集され救護活動を行なった方であった。残りの4名は、勤務先の病院へ被爆者が搬送され、搬送患者の救護にあたった方で、1名は婦人会からの応召に応えて救護を行なったものであった。データは、「8月5日夜から8月7日朝まで(直接被爆者)」「連絡を受けて広島へ向かう(間接被爆者)」「終戦まで」「軍の解散と被爆軍人の帰省」「枕崎台風」「復興」に分けられた。参加者のほとんどが、直接被爆・間接被爆の違いに関わらず、脱毛、歯齦出血、貧血、倦怠感、下痢などの被爆症状が見られ、長期に救護活動に携わることはできなかった。亡くなっていく患者たちと同じ症状が自分の体に出現し始めたとき、死を覚悟しなければならず、その後の人生にも被爆者であると言うことが影響を与えた。 参加者のほとんどが軍人被爆者の看護を行なった看護婦であり、一般市民を対象として救護・看護を行なっていなかったというデータの偏りがあった。しかし、広島は軍都であったこと、一般市民よりお国のために働いていた軍人が治療の優先であった社会的時代的背景からこのような偏りは当然ではないかと考える。
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