研究概要 |
本研究の遂行期間中、得られた成果を箇条書きで要約すると次のようになる。 ・『御家人分限帳』の記載内容から、関孝和の弟永章の生年が1661年であったこと、孝和の養子となった甥の新七郎が1690年生まれであったことを確認した。これに伴って、関孝和の生年は従来比定されていた1640年代よりもかなり後の時代(1660年)にまで下る可能性が出てきた。 ・関孝和の弟子、建部賢明が記した『建部氏伝記』の中に、従来知られていなかった関孝和に関する証言が収録されていることを確認したこと。 ・日本学士院所蔵和算史料の内、約2,000点が目録未収録のままであったが、本研究によって、その未収録に至った経緯の詳細と残存史料の全貌を明らかにすることができた。 ・従来、関孝和が発行したと見なされていた免許状(日本学士院蔵)が、印記などを精査することによってその真偽の根拠が薄弱であることを指摘した。. ・関孝和『発微算法』が解いた原問題の出題者である沢口一之に関わる史料群(橋本流伝書・個人蔵)の存在を明らかにし、その内容を明らかにしたこと。 ・関孝和の業績として知られる著作群、『括要算法』(1712年)、「三部抄」、「七部書」の内容はすべて『大成算経』全20巻(1711年)に過不足なく収録されていることを明示したこと。 ・東京大学総合図書館所蔵、南葵文庫内に榊原霞洲(1691-1748)の筆写した和算関連写本群が存在することを確認した。この中には『大成算経』をはじめとする和算史上重要な史料が多数含まれている。 ・東京大学総合図書館が所蔵する和算史料を全点調査して目録化し、その収蔵に至った経緯と蔵書の構成を明らかにしたこと。明治期の関孝和研究者でもあった川北朝鄰の依拠した史料がどのようなものであったのかを明らかにすることもできた。 ・宮内庁書陵部所蔵『寛政暦書等暦算書』(全402冊)の中に145点の和算史料が収録されていることを確認した。『関孝和全集』にも収録されている『闕擬抄答術』の原本をほぼ一世紀ぶりに再確認した。
|