研究概要 |
17世紀前半、ウィリアム・ハーヴィ(William Harvey,1578-1657)の『心臓と血液の運動De Motu Cordis,1628』における血液循環論の提唱、ルネ・デカルト(Rene Descartes,1596-1659)による機械論的人体像の提出によって西欧における「生きてはたらく人体」理解をめぐる概念構成は大きく変わった。このハーヴィ、デカルトがともに大きな影響を受けたアナトミアのテキストが、ガスパル・ボアン(Gaspard Bauhin,1560-1624)の『解剖学の劇場、Theatrum Anatomicum,1st.ed,1605,2nd ed,1621』である。このボアンの活動したスイス・バーセル大学に注目し、ボアンのアナトミアのテキスト、さらに、ボアンの師であったテオドール・ツヴィンゲリ(Theodor Zwingeli,1533-88)のフィジオロギアの問題構成と問題関心の推移をあとづけた。本研究の主な成果は次の2点から成る。 1.1570年に、Tツヴィンゲリにより改正されたバーゼル大学医学部の「規定《Statuta》」の付表から当該時代のバーゼルの理論医学教育におけるフィジオロギアの位置付けを分析した。 2.1590年から1621年までの間に出されたガスパル・ボアンの5冊のアナトミアのテキストと、T.ツヴィンゲリのフィジオロギアのテキストの構成を時代を追って分析することにより、16世紀後半から17世紀前半のバーゼルにおいてアナトミアとフィジオロギアの対象領域が重なりあっていく状況を明らかにした。
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