研究概要 |
「学制」期における算術教育は日本の近代公教育における算数・数学教育の出発点となったものであり,西洋数学の受容と定着の過程でもあった.本研究では,この「学制」期における算術教育の全体像を明らかにしたものである. 明治4年7月に設置された文部省は「学制」の立案構想に着手し,明治5年8月に「学制」を頒布し,同年9月に「小学教則」を頒布した.ここでは,算術は洋法(洋算,西洋数学)と定められ,日本の伝統的数学である日本算術(和算)は全廃された.この「和算全廃・洋算専用」に至る過程とその後の紆余曲折に関する考証は本研究独自の新たなるものである. また,洋算教育推進のためには,適切なる教科書が不可欠であるが,その仕事は明治5年9月開校の師範学校によってなされた.すなわち,『小学算術書』の編纂がそれである.この算術書は従来,コルバーン流,あるいはコルバーン自身の算術書を種本としているとの説が通俗的であったが,本研究ではその誤りを指摘し,デヴィス及びロビンソンの算術書を種本としていることを明らかにした. さらに,「学制」期における算術教育課程は文部省制定のものと師範学校制定のものの2種類があったが,多くの府県は師範学校教則をモデルとした算術教育課程を実施した.本研究ではこれら2種類の教則を比較検討し,師範学校教則が当時の日本的風土に適した内容を備えたものであることを明らかにするとともに,各府県の算術教育課程の変遷についても新たな知見を得た.さらに本研究では,「学制」期の算術教授法の成立についても明らかにした.
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