研究概要 |
「徳と利益 -ヒュームとスミス-」 18世紀イギリス思想において「利益」の観念が道徳思想に与えた影響は,いまだ詳細には論じられていない。そこで,「徳と利益」をめぐるヒュームとスミスの言説を検討し,「利益」の台頭に伴う道徳思想の変容について明らかにした。 ヒュームは『道徳の原理に関する研究』で,徳への義務を行うことが各人の利益でもあることを示そうとしている。この議論はシャフツベリの主張やバトラーの教説と同じ方向にある。だが,ヒュームは逆の方向の議論も展開している。例えば,『人間本性論』では,自己の利益への顧慮が正義の規則を遵守するように人々を動機づけ,公共の利益への共感によって正義の徳が確立されると論じている。また,『道徳の原理に関する研究』では,名誉への愛という利己的な情念が人々を道徳的な反省に向かわせ,その反省が人々を有徳に行為させると述べている。 これと同じ方向の議論はスミスの思想にも見られる。スミスは『道徳感情論』で,自己の利益を目指すことが人間を有徳にすると主張し,そのことを指して「徳への道と財産への道」は同じであると語っている。また,『国富論』では,個人が自己の利益を追求することで社会の利益がもたらされるという「見えざる手」を提示している。だが,「徳への道と財産への道」「見えざる手」で問題にされる道徳は(スミスの言う)「普通の程度の道徳」にすぎない。それは「何の徳性もない」道徳であり,そこでは正義だけが必要とされ,人々に求められるのは「義務感」だけである。 このように,18世紀イギリス道徳思想における「徳と利益」をめぐる言説は,徳が有益であるという議論から,利益が人を有徳にするという議論へ移行している。そして,そのことは道徳の引き下げ--徳の没落,義務の優位--に繋がるものである。 (なお,本研究は日本倫理学会第53回大会(2002年10月)で口頭発表した。)
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