本研究では、1990年代を中心に展開した金融自由化政策に政治や官僚制、金融機関が与えた影響を明らかにする。そのための作業として、まず第1に、1990年代の動きを整理するため、朝鮮日報等、韓国の主要な新聞に出てくる記事を整理した。その結果、部分的金融自由化の本格化は金泳三政権発足をきっかけに生じたこと、その主たる動機は、当時韓国を襲った不景気からの脱出には、1980年代まで広範に行なわれていた政策金融では不可能であり、金融自由化が資金供給の代替手段であったことが明らかになった。次に、金融改革を行なうために設けられた金融発展審議会、金融改革委員会の答申、IMFとの議定書等金融自由化計画に関する文書及び関連する研究論文を収集した。収集の過程で、1970年代から1980年代への政策志向の変化が重要であることに気づき、それに関する文献も収集した。この分析結果は、平成15年度に日文研叢書『日本の政治経済とアジア諸国』(村松岐夫京大教授編)所収の論文に反映されている。なお、大統領-議会関係が経済政策に与える影響を分析するために行なった研究成果は、2001年度現代韓国朝鮮学会シンポジウム報告「不可解なハンナラ」で公表した。 平成14年度はいくつかのケースを中心に、金融政策決定に関わったと考えられている政治アクターの行動を調査した。対象としたのは、韓国の金融政策の重要な転換点となった91年の部分的金利自由化開始と、97年の金融改革委員会答申、98年の通貨危機下での第1次金融構造調整と、転換点となり損ねた93年の金融発展審議会答申である。分析の結果、民主化によって政党構造が変化したことが、権威主義時代にはあった政策循環を止め、財閥企業の経営効率を低下させていったことが明らかになった。 以上の成果は、一部をすでに公表したが、著書としてまとめて公表する予定である。
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