イギリスは近代スポーツの母国といわれるが、従来の研究においては、パブリック・スクールがその成立過程で大きな役割を果たしたことが知られている。しかしながら、近年の社会史研究の成果により、工業化と都市化が加速化するまでのイギリス社会には多様な娯楽・スポーツが存在したことがあきらかとなっている。したがって、イギリスにおけるスポーツの近代化過程をよりトータルな視点から捉え直すには、ひろく社会的活動としての娯楽・スポーツを考察対象とすべきなのである。そのさい、前近代的な娯楽・スポーツの合理化にさいして重要なはたらきをしたと考えられるのが刑法であった。というのも、歴史的に見た場合、とくに民衆の娯楽・スポーツはつねに何らかの規制や禁圧の対象となってきたといえるからである。イギリスの場合、そこには判例法のみならず、刑法上の権威的典籍や制定法に代表される成文化された法が中心的な役割を果たしてきた。だが、そのさいに注意しなければならないのは、スポーツ活動をもっぱらその対象とする各種スポーツ立法が成立するのが20世紀に入ってからに過ぎないことである。イギリスの場合、中世には市民による軍事力と労働力の保全のために「不法な遊戯」が禁じられたことからわかるように、一見、スポーツとは関わりがないように思われる多様な制定法による規制が行われていた。それは救貧法、安息日遵守法、狩猟法、賭博法などであり、19世紀には動物虐待防止法、定期市規制法、興行法、鉄道統制法、休日法、教育法が加わることになる。イギリスにおけるスポーツの合理化過程において、これら制定法および判例法の果たした役割はけっして少なくなかったものと考えられる。
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